オアシスについて

概要

ボランティア オアシスは、名古屋のホームレス支援グループ(任意団体)です。

毎週火曜日19:30に白川公園南の高架下で炊き出しを行っています。

また、特定の週の炊き出し以後には、市内各地の夜回りも行なっています。

 

ホームレスへの炊き出しによる食料・物品援助を中心に、私たちが「今」最善と思う活動を、「現場に関わる」ことで社会にアプローチしていくことを目指しています。
また私たちは、特定の宗教や政党に依ることなく、公的な助成金を得ることで国に制約されることもない、自由なグループづくりをモットーとしています。

 

ボランティアには飛び入り参加も多く、気軽な雰囲気で活動しています。
ぜひ一度、現場まで足をお運びください。皆様の参加をお待ちしています。

日々の様子

オアシス日記 にて、毎週の活動報告を行っています! ぜひご覧ください。

スタッフ

リーダー

ナチオ(西川直希)

 

サブリーダー

向井・よしこ・千秋

会計

ナチオ・匿名

 

Web

魔女

代表

河村隆夫

 

初代リーダー

月音


オアシス事務局

(個人宅のため、訪問の際はご連絡下さい)

〒454-0946 名古屋市中川区一色新町3丁目1508

090-6644-3694

voloasis@gmail.com

設立に際して

<初代リーダー、月音さんより>

オアシスは2000年9月に活動を開始しました。
そのルーツは、名古屋市科学館横のスペースで、野宿生活者の人々にパンとジュースを配っているごく小さなグループに、河村さん(現在オアシス代表)が参加したことから始まりました。
彼に誘われ、私(初代リーダー 月音)も2000年4月からそのグループの奉仕活動に参加するようになりました。
でも、ほどなくして、そのグループの中心者が個人的事情で活動を辞めたいというので、河村さんと私で「それなら、このまま私たちが引き継ごうか…」という話になりました。

活動は毎週火曜日に行われていて、もしも止めてしまえば火曜日に何も食べられなくなる人ができてしまう…そう思うと、何とか存続したいという気持ちが強くなったのです。
「一日ぐらい食べられない日があってもいいのでは? ハングリー精神が出てくるかもよ!」
そんな声を何と当事者である野宿生活者の人から聞くこともありましたが、それは僅かでも自活できている人の話。


名古屋市の各ホームレス支援団体が配給する量は、一日の栄養摂取量を考えれば決して十分というわけではないので、一日食事を抜くことで、ひょっとしたら生命維持に支障が出る場合もあるのでは?と危惧したことも存続への理由でした。

そこで、前グループに参加されていた永尾さんとAさんを交えて、新しくグループをつくり、継続して支援活動をしようと決めました。
まずはリサーチとして、他の支援団体の活動を見学しておこうということになり、私と永尾さんは名古屋で開催している配給活動の現場を見て周りました。そこには善意のグループ、宗教理念から活動しているグループ、当事者に寄り添い、様々な側面から自立支援を長年手伝っている尊敬すべき団体など、様々な形がありました。

私たちは、それぞれのやり方を観察しながら、自分たちの力量で何ができるのかを思索しました。

そんなとき、長年ホームレスに寄り添い、献身的に夜回りの奉仕活動をしている人と話す機会がありましたが、彼は「宗教関係の者は、奉仕という名でホームレスを利用している。自分たちの成長(ご利益)のために…」と言っていました。これには私も深く納得しました。

 

そこで私はオアシスが「独りよがり」だったり、「上から目線」の活動にならないように、活動への基本理念を創り、ホームページに提示することにしました。
『すべてはひとつ(同胞)であるという一体性の視点で、同胞の人権を尊重し、喜びを分かち合い、 助け合える社会づくりに貢献したいと願っています』

活動をしていく上で、この文言が実際の現場で忘れ去られていたとしても、自分たちの目標をきちんと掲げることにより、何かに迷ったときにグループが初心に帰ることができると思ったからです。

こうしてオアシスの活動がスタートしました。
最初の頃はグループメンバーが4人しかいなかったため、一人あたりの経費負担が大きく正直大変でしたが、協力会社のご厚意により毎週バナナを安価で譲ってもらえたり、支援してくれる友人たちが少しづつ増えるに従い、隔週配給だったパンも、毎週配ることができるようになっていきました。とはいえ、当時は野宿生活者の方が毎回250人から300人は並んでいたので、たくさんの支援金が必要でした。

そこで、もっと支援者が増えるようにと、ブログに活動日記を書くことにしました。
それが今も続けられている、現場の活動状況を書き綴った「オアシス日記」です。この日記をmixiで公開するようになってからは、賛同者が増え、劇的に現場のボランティアが賑やかになってきました。

時は流れ2006年、私が東京への移住が決まった折には、オアシスの存続の是非はメンバーたちに託しました。すると「存続させていきたい」との声が上がり、その頃からナチオ君がリーダーの「新生オアシス」となりました。

新生オアシスになってからもボランティアの数は更に増え、設立当時からの夢であった、冬季に温かいスープ、手作りのおにぎり、お菓子などのいろいろな配給もできるようになり、毎回、野宿労働者の方が「ありがとう!」と喜んでくださいます。  たくさんのボランティアたちが現場を盛り立ててくれ、現場に出られない方は温かい支援を送って下さる…
オアシスはこのようにして17年間も存続できました。

私たちのこの活動への原動力は何か?と言うと、きっと高邁な思想ではありません(笑)

毎週顔を合わせる顔なじみのおじさんが「今日も元気」でいてくれることだけが願い。もちろん良き社会に…と願ってはいますが、実際は単純に、目の前に並ぶ人に、「この寒さでは辛いよね」「お腹が空いていては気持ちは前向きにならないよね」という、単純に相手の立場を感じる気持ちだけでやってきたと言っても過言ではないと思います。

自立支援の前の段階の「応援」。
これがオアシスがやれることだと思っています。

 

「おじさん、とりあえず、コレね😊」きっとこれからもとりあえずの支援しかできない。
でも、そのとりあえずがここに在る「大切な命」を明日へと繋ぐのだと信じています。

これからもオアシスと一緒に活動して頂けたら、本当に嬉しいです!

オアシス初代リーダー 月音

<頂いたお手紙を紹介します>

拝啓

突然にお手紙を差し上げて、誰かと思われると存じますが、私、昨年白川公園の路上まで皮背広と翌日に毛布2枚を頂いたKです。

オアシスさんは私の命の恩人です。あの時、夏のジャンパー1枚で夜が寒く困っていました。私の見栄でパンを頂く列にも並ばず、貴方様が自動車に再度戻られた時に、勇気を出してお願いしたら、貴方様は心良く、明日午後1時半にこの場所へ着るものを持って来て下さると云われ、あの時は本当にうれしく涙が出ました。ホームレスを余りやった事のない私には、貴方様の行動に心より感謝しています。又、翌日電話したら、毛布2枚を持ってきて下さって、私は助かりました。

あの日から4日程、科学館・白川公園にいましたが、風邪をこじらせして、区役所の世話で大久手の吉田病院と守山の紘仁病院に入院しました。以前より心臓病の持病が有りましたので入院した次第です。(退院平成3年2月2日)

今年2月2日に千種区の福祉課のお力添えで、瀬戸市養護老人ホームT荘へ入荘します。

今日あるのも、あの時に助けて下さった貴方様がいたからこそ、心より厚く御礼を申し上げる次第です。私、この時期は死を思考の連日でした。貴方様にお会いできて助かり、生の望みを持つ様に成り、今日に至っています。あのときに貴方様にお会いできていなかったら自殺をしていたと思います。貴方様は私の命の恩人です。本当にありがとうございました。

2月2日より、着の身着のままT荘に入荘しますが、今後は少しでも長生きできるように歩んでいきます。

私には少額ですが、年金(月額8万円)があるので、区役所の方も老人ホームを探して下さったと思います。

私は66才です。毎月少しでも貯金をしてホームでない住いを探していきたいと思いますが、何年かかるかわかりませんけど、一生懸命に生きていく所存です。

少し余裕ができましたら、貴方様の所に御礼に伺います。本当にありがとうございました。

又、ボランティア活動にお力を入れられて感謝しますが、貴方様御自身の御体にも十分に気をつけてください。

愚筆ですが、御礼申し上げ方々御報告まで。

早々